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# 桜色舞うころ


今年もこの季節がやって来た。

日本に生まれて良かった。

そしてまたこの一年生きてこれたことに、感謝

特に今年は年明けから激動だったので、
いろいろな人への感謝への気持ちを感じずにはいられない。


桜ほど 人との出会い、別れ、運命を想起させる花はなかろう。

それは恐らく
一年に一度だけ 短いながらもを懸命に命を燃やす花であり

太古からの人との出会い、別れ、再会を見つめてきた花だから。


桜は 飛鳥時代の「万葉集」から現代に至るまで数多くの人に詠まれてきた。

時に私が好きな桜の歌は
中島美嘉の「桜色舞うころ」

作詞・作曲を担当した川江美奈子のバージョンが
なかなか良い。




やがて季節(とき)は私たちを
どこへ運んでゆくの?

ただひとつだけ 確かな今を
そっと 抱きしめていた
| comments(0) | trackbacks(0) | 23:14 | category: 脳内もやもや |
# Live Like We're Dying
 医学と芸術展(森美術館)で印象的な作品に出会った。

Walter Schelsの「Life Before Death」

左に生前の写真(この時、被写体の人物は余命わずかであることを知っている)
右に死の直後の写真が並べられている作品である。

ある人物は、広告会社で働いていた。
病気で余命わずかであることを知り、ホスピスに入る。
同僚が「また良くなったら会おう」と精一杯の笑顔で見舞ってくれる。
でも誰も、自分が死を前にしてどんな思いでいるのかを訊いてくれない。

そういう思いを心に抱えながら、
彼は逝った。

死後の彼の顔は
まるで眠っているかのように穏やかにも見えるし、
心から自分の思いを周りの人物に伝えることのできなかった悔しさが
にじみ出ているようにもとれる。


この作品は、タブー視されている「生と死」にダイレクトに切り込んでいる。
できれば直視したくないが、誰しもがいつか直面するテーマ。
だから心に刺さる。


生きている私達は死を迎えるにあたり、どうすればいいのか。

「今を生きる。」
「残された人が笑顔で暮らせるよう生きる。」
「・・・・・無理。考えたくない。」
「死んじゃったら別に関係ないし。」

そこに完璧な正解なんてないと思う。

ただ、
私は、
死の直前まで、
生きているということを実感していたい。


| comments(1) | trackbacks(0) | 23:49 | category: 脳内もやもや |
# レトロフューチャーエレクトロワールド
渋谷芸術祭の一環で
渋谷駅には服飾系専門学校生が作成した衣服がズラリ。

中でも印象に残ったのは
60's city generator



レトロフューチャーな雰囲気が素敵。

このファッションを見て
ベタだが彼女達が着たら似合うだろうなと思ってしまった。

ベタだが。



| comments(0) | trackbacks(0) | 01:00 | category: 脳内もやもや |
# おやすみ、続きは夢の後で
 

夜は生きている限り
誰にでも平等に訪れる

朝は生きている限り
誰にでも平等に訪れる


平和な街に暮らす人

重だるい身体を起こす

肌を刺すような冷たい空気
立ち上る匂い
人ごみの温度

いろんな刺激で
全身の歯車がいつものリズムで回り始める

でも、欲を言えば

もうすこし
あと1分でも眠っていたい



戦火の街に暮らす人

夜になると閃光が走り、轟音が響く

ああ、あれは隣町だろうか

家族と過ごす幸せな風景・・・

夢だった。

はやく夜が明けますように



夜は誰にでも平等に訪れる

朝は誰にでも平等に訪れる

生きている限り




| comments(0) | trackbacks(0) | 00:43 | category: 脳内もやもや |
# 手塚ブッダ
スクールでこんな課題が出た。

「あなたの好きな作家・著名人に
雑誌・書籍の企画を依頼する手紙を作ってください」


好きな作家・著名人
誰だろう?

悶々としていたところ、
ある本が目に飛び込んできた。


手塚治虫「ブッダ」


手塚治虫に依頼してみようか。

ということで、ブッダ1巻を改めて読んだ。


物語は、ゴウタマ・シッダールタが誕生する前から始まる。


バラモンの僧侶が雪山で力尽きて
倒れていたところ

くまと きつねと うさぎが
僧侶を助けるために、食べ物を探しに行く

くまは魚を きつねは実をとってくるが
うさぎだけ何も見つけられないまま戻ってきた

申し訳なく思ったうさぎは
僧侶に火を焚くようお願いする

僧侶が言われるがままに火を焚いたところ、
うさぎは自ら火の中に飛び込んでいった

僧侶の命を助けるために
自らの身体を焼いて食べてもらおうとしたのだ

僧侶は急いで火を消したが
既にうさぎの息は絶えていた

ひどくショックを受けた僧侶は
十日間寝込み続け
その後 悟りを開いた

この世界の大いなる因果の摂理を知ったのだ


初めの20ページくらいで既に号泣。
明らかに周囲に不審がられたであろう。

ところで
「この世界の大いなる因果の摂理」ってなんだろう?

それが、
この本を読み進めると書いてあるのだろうか。
(昔読んだのに、すっかり忘れてしまった)


手塚治虫は、やはりすごい・・・
私にとっては、手塚ブッダです。


さて、どんな企画をお願いしようかな?

| comments(0) | trackbacks(0) | 01:39 | category: 脳内もやもや |
# 物語と出会う場所
世の中では、雑誌離れが進んでいるようだが・・・

定期的に目を通している雑誌がいくつかある

・装苑
・BRUTUS(特集による)
・ecocolo(特集による)

特に装苑は
筆者にとっては
現実世界と物語の世界をつなぐトンネルのようなものである。

たとえば、今月号でいうと
蒼井優がつけている髪飾り



何となく
RPGのアイテムに出てくる髪飾りを彷彿とさせる

身につけると、MP(マジックパワー)がアップしたりして(^^)


いや待てよ(誰も待っていないけど)

この髪飾りには、歴史があって
18世紀のオーストリアで生まれ
フランス革命、第一次世界大戦を経験し、
もう二度と血は見たくないと
平和の印として輝き続けているのかもしれない・・・


そろそろ現実世界に戻らないと
いつまでも物語の世界にはいられないんだよ


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# 本日もファンキーなり。
 
地元の駅で目撃したファンキーな二人。



巨大クリップが頭に刺さっているのか、
はさんでいるのか、
とり忘れたのか、
ステータスがいまいち不明瞭です。




ミラーボールが昼間からまぶしいです。

日常にファンキーは潜んでいるのですね。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:30 | category: 脳内もやもや |
# 自己否定してしまう人への処方箋
ぎゅうぎゅう詰めの本棚に戻せなかったから仕方なく買ってみた雑誌「広告」

なんだか今の自分に刺さる内容ばかりだった。

「弱い自分を受け入れられなくて自己否定する現代の日本人」について書かれた記事を
アレンジしてここに書き留めておく。

------------

「自我」という概念は、長らく日本にはないものでした。

江戸時代までの日本の画家が自画像をほとんど描かなかったように、
自分を客観視する視点がなくて、
花鳥風月や世間の中にいる自分だけがありました。

「世間」=「私」で、
生まれたら、親の仕事をやり、町の人と仲良くして、他の人とどう違うかなど考えずに生きてきました。


明治に入り、西洋的な「自我」という概念が入ってきました。
でもそれは日本人にとっては「借り物」な感じが今でもあります。

今や、自我が確立していないにも関わらず、競争原理や自己責任を求められる時代になりました。
「世間」という受け皿を持たなくなり、自分にばかり目がいくようになりました。

「常にポジティブシンキングでいる私」みたいなステレオタイプな自己イメージしか持たず、
自己啓発や自己実現に取り組むあまり、
自分が今までやってきたことを全否定して、
「もっとすごいものがあるんじゃないか」という意識を持つようになりました。

そして、ちょっとでもうまくいかないと、
失敗した自分の目でしか見ていないから、
「私って何もできない」「生きる価値がない」「もう、だめだ」と近視眼的な考えに陥りがちに。
そして集団催眠みたいにスピリチュアルに走る人も出てきました。


そんなあなたへの処方箋はこれ↓

1.身近な希望を叶えることに幸せがある、という考え方をもつ。
 抽象的な概念や大きなプログラムをいきなり考えてもわけわからなくなるので。

2.失敗したときは、少し離れて、目線を遠くにおいてみる。
 すると不幸だと思っていたものが、たいしたことのない違ったものに見えてくる。

------------

そうなんです、私も肉体的に乱視近視な上に、考えも近視眼的でして。
ちょっと解決の糸口が見つかったような・・・

ところで「自我」って何ですか?

老子の「たかの知れた社会」に書かれているものとはまた別の観点が得られた。


| comments(0) | trackbacks(0) | 22:02 | category: 脳内もやもや |
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